02. 本編ストーリー後、帆高と陽菜二人は結ばれたのか?

2人は無事結ばれたかについて、私の答えとしては「わからない」となります。

作品の終幕時点でお互いがお互いに好意を持っているのは間違い有りません。特に帆高は陽菜にゾッコンですが、陽菜も雲の上の彼岸に飛ばされたシーンで帆高への感謝の気持ちや好意を語っています。また、何よりも再会シーンで飛びかかって相手に抱きついたのは陽菜の方です。

ところで、「君の名は。」の再会シーンでは瀧と三葉の両方が涙を流していました。しかし、「天気の子」では帆高の方だけ涙を流し、陽菜はその理由がわからず帆高に「大丈夫?」と尋ねています。そして、帆高はその返答としては噛み合わない「陽菜さん、僕たちは、きっと、大丈夫だ」という回答をします。

噛み合わない理由は、ラストシーンでBGMとして流れている「大丈夫」の「崩れそうなのは君なのに」の歌詞に答えがほのめかされていると考えられます。「崩れそうなのは君なのに」の部分が帆高の心境を意味するのであれば、おそらく帆高は「泣きたいのはお互い様なのに陽菜は優しいから相手のことだけを気遣っている」と受け取ったのでしょう。どうやら、帆高は陽菜の発言について意図を勘違いしている可能性が有るようです。

この不穏さを裏付けるように新海監督はCUT誌2019年8月号のインタビューで以下のように発言しています。
――引用開始――――――――
(天気の子は)ラブストーリーに見えるんですけど、いわゆるラブストーリーじゃないとは思うんですね。多分観客は、ふたりの恋の行方がどうなるかっていう視点ではこの映画を観ないと思う。僕としては、ふたりが恋人同士になれる気はあんまりしていないですよ (中略) このふたりが付き合ったとして上手くいくと僕はどうも思えないので
――――――――引用終了――

実に新海監督の作品には、運命の女性(or男性)というものが繰り返し登場しますが、一度として彼ら彼女らが、相手と明確に結ばれた事はありません。「君の名は。」の二人でさえ、再会の後に付き合ったかどうかは不明です。

上記のように監督自身二人の相性は良いと思っていないようですが、その一方でストーリーはすでに世に放たれた後なので神様のように二人の運命に干渉する気も無さそうです。新海監督は二人に合コンのセッティングをした立場の心境なのではないかと私は想像します。

合コンの場では少々話が噛み合わなくて不安な印象であったとしても、デートを重ねる中で波長を合わせられるようになることだって有るでしょう。ここは一つ帆高と陽菜の二人を応援してあげるのも良いかもしれません。

なお、帆高の努力もやむなく二人が結ばれることがなかったとしても、それがバッドエンドということにはならないことを新海監督は2019年7月23日の毎日新聞のインタビュー記事で発言しています。
――引用開始――――――――
ハッピーエンドの対極がバッドエンドだとして、ただ、僕はバッドエンドの作品を作ったつもりは一度もない。映画の登場人物は、映画の中の物語が終わっても彼らの物語は続くと思っている。例えば好きな人と結ばれない終わり方というのにすごく衝撃を受けてしまう人も中にはいるでしょう。でも、結ばれないことの方が世の中多い。初恋の人と結ばれる人とそうでない人で言えば、おそらく結ばれない人の方が圧倒的に多いですよね。でも、結ばれなかったことで、より人生が良くなっていく場合もあるし、前を向かなければいけないし、それは振り返れば後々プラスになる。
――――――――引用終了――

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