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14. 新海監督の次回作で本作の二人がカメオ出演する可能性は有るか?

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新海作品は過去作キャラが頻繁にカメオ出演する傾向なので、その可能性は十分に有ります。ただし、過去作における前作キャラのカメオ出演については、作品間の世界線に矛盾を持った状態のものであることがよく指摘されます。「言の葉の庭」と「君の名は。」間では、雪野先生は2013年に東京で教鞭をとっていたのか、はたまた糸守でなのかが矛盾します。「君の名は。」と「天気の子」間では、2022年4月の東京は晴れていたのか雨だったのかが矛盾します。 なお、次回作に向けて新海監督は、雨が降り続いて水没した東京をこれ以上描くことにあまり乗り気を感じないのではないでしょうか。また、陽菜を見殺しにして晴れが戻った世界も描く気は無いだろうとも感じます。さらには、これまでのインタビュー記事の印象から、二人の恋が実ったか実らないかも描くつもりが無いだろうと言えます。 だから、もし帆高と陽菜が次回作にカメオ出演するのであれば、晴れ上がった2024年以降の東京で、帆高も陽菜も両方生きた状態、かつ、恋人関係かも不明の状態で登場する可能性が一番高いのではないかと思います。 視聴者側は、「一体どこから世界が分岐したんだろう?」「二人の恋はどうなったの?」と、すごく想像力を掻き立てられてしまう展開ですね。

13. 帆高と陽菜の再会時、雨が弱まったのは陽菜の祈りが天に届いた証拠か?

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本作ラストシーンでの帆高と陽菜の再会時、雨が非常に弱まっていますが、これを陽菜の祈りが天に届いた証拠と考えるのは少々難しいと考えられます。 新海監督は救出時の陽菜のチョーカーが切れていた理由について、天気の巫女からの解放を意味するのだろうことを劇場パンフレット第二弾で語っています。また、帆高がアパートで聞いていたラジオの天気予報にて「都市部では非常に雨が弱まる時間も有るでしょう」というセリフが登場します。これは、雨の降り続く東京においても一時的に雨が弱まることが有ることを、わざわざ新海監督が観客に伝えるために入れたものと思われます。そうでなければ、あのような直接的なセリフをわざわざ作品に入れたりはしないでしょう。 なお、新海監督のインタビューでの発言などから推測するに、異常気象が起きている中でも、正確な天気予報がなされている様子を作中に入れ込むことで、人類は自然と対峙できるだけの叡智を持っていることを示したかったという可能性も有ります。

■12. なぜ、エピローグで圭介は帆高の話を全否定したのか?

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圭介は、十代で家出&上京し、そこで出会った少女と恋愛したという帆高の人生の生き写しのような人物です。また、帆高が陽菜と体験した奇跡の多くを間近で目撃しているため、あらゆる意味で帆高の最大の理解者です。しかし、エピローグでは帆高の言うことに少しも耳を傾けず、ほぼ全てを否定するわけです。それはなぜでしょうか? 理由は以下の4つにまとまるのではないかと思います。 ①帆高の決断と東京水没の因果関係の薄さ ②圭介の大人のプライド ③帆高の子供っぽさの変化への落胆 ④帆高の陽菜への思い込みの深さに対する危惧 ①帆高の決断と東京水没の因果関係の薄さ 陽菜と天気の巫女に関する作中での「確定事実」は以下9つだけです。 ・天の気分を制御できる天気の巫女の伝承が世界中に有るらしいこと ・天気の巫女は最終的に人柱として消えるらしいこと ・陽菜が一時的に晴れを作る能力を持っていたこと ・晴れの祈りのたびに陽菜の体が徐々に透けていき、最後に消失したこと ・陽菜が消失した後、一時的に東京の空が晴れたこと ・陽菜が消失した瞬間、東京中の人が陽菜の夢を見たこと ・帆高は消失した陽菜を連れ戻すのに成功したこと ・帆高が陽菜を連れ戻した後、また東京の雨が再開したこと ・再開した雨は2年半以上止んでいないこと これを踏まえると、陽菜が人柱であるというのが真実だったとしても、「陽菜を連れ戻す⇒東京が沈む」という因果関係の説明は、論理に飛躍が多過ぎることになります。気象神社神主の話によれば、天気の巫女というのは世界各地に昔から存在したということであり、陽菜だけが天気の巫女というわけではないのです。陽菜と同等の能力の人間もまた、近々にも生まれ得るわけです。そしてその人が人柱になって天の怒りが静まる可能性も有ります。同時に、天気の巫女は「天」の怒りを鎮めるのが仕事というだけで、雨を降らせる主体はあくまで「天」です。「天」が怒るのを止めたら人柱など関係なく今すぐにでも雨は止むでしょう。さらに、天気の巫女が消失した後の天気がどうなるのかについて作中全く定義が有りません。もしかすると陽菜を帆高が救出しなかったとしても1週間後くらいにまた雨が振り始めてしまう可能性さえ有ります。よって、作中事実を並べても帆高に世の中の行く末を決める決定権が有ったとは考えにくいです。圭介はこれがわかっているため、確定事実以外の部分の多くを想

11. 帆高は16歳⇒18歳で成長したのか?

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帆高は16歳の時点で圭介のオカルト雑誌記事作成の補佐が務まる文章力やPC活用スキルが既に有りました。またスキルや経済的に困窮する陽菜の様子を見て、すぐに晴れ女ビジネスを思いつき、ウェブサイトをすぐに立ち上げる実行力も有りました。よって、帆高はこの時点で色々とハイスペックな子です。しかし、当時の彼の欠点は、憧れの陽菜が絡むと銃を発砲したり、線路に侵入したり、自転車を盗もうとしたりと、違法なことが全く躊躇なくやれてしまう激情型の性格でした。言うなれば、チキンと言われると逆上するバックトゥザフューチャーのマーティ・マクフライのような性格でした。 マーティは映画のラストシーンでこれを克服出来ていましたが、18歳の帆高も小説版では成長の具合が以下のようにしっかり記述されています。 ――引用開始―――――――― 誰かを心配させないように、安心してもらえるように、僕は出来る限りきちんとした生活を送るように努めた。それは掃除を進んでやるとか授業を真剣に聞くとか人付き合いから逃げないとか、まるで言いつけを守る小学生のような所作に過ぎなかったけれど、いつの間にか成績は上がり、友人は増えていった。大人から話しかけられることも多くなった。 ――――――――引用終了―― 学力の上がった帆高は以下のように考え、帆高は2024年に東京農工大学の農学部に入学します。 ――引用開始―――――――― この二年半、脳が擦り切れるほど考え続け、大学は農学部に決めた。気候が変わってしまった今の時代に必要なことを学びたかった。 ――――――――引用終了―― 上記から、少なくとも偏差値63以上の学力がついていたと推定されます。 東京農工大学 偏差値 https://manabi.benesse.ne.jp/daigaku/school/1180/hensachi/index.html なお、上記で紹介した小説の一節に有った以下の部分は少し補足が要ります。 >まるで言いつけを守る小学生のような所作に過ぎなかったけれど 「エゴグラム」に即せば、上記は「FC(自由な子供)」の数値が下がり、「AC(適応的な子供)」の数値が上がったということを意味します。成長というより、子供的な人物が、それとは別の子供的な特性を身につけただけとも言えるのです。 Wikipedia:エゴグラム https://ja.wikipedi

10. 本作冒頭で帆高がフェリーの甲板で雨に打たれて喜んでいたのはなぜか?

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小説版では、帆高の心境が以下のように記載されています。 ――引用開始―――――――― やった、と僕は小さく声に出した。今なら甲板を独り占めできるかも。尻の痛い二等船室にもいいかげん飽きてきたところだし、他の乗客が戻ってくる前に甲板に出て雨の降る瞬間を眺めよう。 ――――――――引用終了―― また、以下のMovieWalkerのインタビュー記事で新海監督は、帆高が上記のように感じた理由を以下のように説明しています。 https://movie.walkerplus.com/news/article/200872/ ――引用開始―――――――― 冒頭の船のシーンは、帆高の傾向や性格のようなものを描いたつもりです。『非常に激しい雨が予想されます。安全のため、船内にお戻りください』という放送がかかり、みんなが船の中に戻っていくんですが、そんななか帆高だけは逆方向に歩いていく。『この男の子は、人と反対の方向に行ってしまうんだ、大人に言われたことと逆のことをやってしまうんだ』ということを描きたいと思っていました。大雨に喜んでいるのは、島を出てきた解放感もあると思います。帆高はみんなが嫌がるような、危険だと思うようなことに解放感や喜びを感じてしまう。そういった、物語の行く末を示しているシーンになります。 ――――――――引用終了――

09. 本作に帆高の家出の理由が描かれていないのはなぜか?

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作中のラブホテルのベッドで帆高が見た夢に、雨の中を自転車をこいで雲間からさす光を追うシーンが有りますが、小説版ではあのシーンに以下の説明が付きます。 ――引用開始―――――――― あの日、父親から殴られた痛みを打ち消すように、自転車のペダルをめちゃくちゃに漕いでいた。あの日もたしか、島は雨だった。 ――――――――引用終了―― このことから、映画冒頭での帆高の顔の絆創膏の謎は、父親に殴られた傷だったと判明します。当然それが家出の理由でしょう。 なお、映画で家で理由を示さない理由について新海監督は、劇場版パンフレット第一弾で以下のように語っています。 ――引用開始―――――――― 帆高は家出をして東京に出てきますが、その家出の理由を劇中では明確に語っていません。トラウマでキャラクターが駆動される物語にするのはやめようと思ったんです。映画の中で過去がフラッシュバックして、こういう理由だからこうなってたんだっていう描き方は今作ではしたくないな、と。内省する話ではなく、憧れのまま走り始め、そのままずっと遠いところまで駆け抜けていくような少年少女を描きたかったんです。 ――――――――引用終了――

08. 明日花(須賀圭介の妻)が天気の巫女だという説は本当か?

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・須賀圭介は安井刑事から泣いていることを指摘される ・須賀圭介は暴走した帆高の行き先が代々木の廃ビルであることを知っていた 上記の二点から、 「明日花が天気の巫女であり、圭介は明日花を見殺しにし、晴れ渡る東京を選んだ。それゆえに圭介は泣き、廃ビルの場所も知っていた」 という真相を推測する人がいます。 しかし、結論から言うとそれは間違いの可能性が高いです。 明日花が巫女であり、彼女が消えていくのを圭介が見殺しにしたという説が正しいとすると、以下、小説版「天気の子」の須賀圭介の心中の呟きが矛盾します。 ――引用開始―――――――― 俺にも、かつていたのだ。明日花。もしも、もう一度君に会えるのだとしたら、俺はどうする?俺もきっと―。 ――――――――引用終了―― また、圭介が泣いていた理由も上記のセリフだけで説明出来てしまいます。 なお、帆高の行き先が代々木の廃ビルであることは、夏美は本人から聞いて知っているので携帯電話で聞けばすぐにわかります。さらに、圭介は帆高の携帯料金を払っているため、帆高の位置をスマホを使ってすぐに確認することも出来ます。そして、8月21日の夜に圭介を含めた東京中の人が、代々木の廃ビルの屋上から天に消えていく陽菜の夢を見たと作中で描写されています。よって、圭介が帆高の行き先を知らない方がむしろ不自然とまで言えます。