03. 本作プロローグにて、陽菜自身ではなく帆高が陽菜のことを語るのはなぜか?


作品プロローグの映像は、帆高が陽菜から伝え聞いた内容を想像で補って再現したものです。陽菜は帆高に対して年齢さえも偽っていたので、自分の体験を嘘偽りなく伝えたかどうかは定かでは有りません。観客に対して事実を正確に伝えたいならば陽菜に語らせる方が適切です。それにもかかわらず、帆高をナレーターに起用する理由は何なのでしょうか?

私はその理由は以下2つであると考えます。

①状況を帆高自身に語らせたい
②事実を正確に伝えたくない


①状況を帆高自身に語らせたい

映画パンフレット他、色んなインタビュー記事で新海監督は、本作で描きたいのは第一に帆高の一直線な「強い思い」であると答えています。それゆえ、帆高以外の人にストーリーを語らせるのは適切ではありません。陽菜も本作では帆高の客体に過ぎないのです。

②事実を正確に伝えたくない

本作世界の出来事が「神の視点」で語られてしまうと、作品から帆高の主観性が薄まってしまいます。帆高の強い思いを表現したいのにこれではマズイです。だから、帆高自身が認識する作中出来事の内容についてはむしろ誤解が含まれるくらいの方が良いわけですね。

また、日経サイエンス10月号のインタビューや公式ビジュアルガイドでは、新海監督は、天の気分と人類の影響が相まって変わってしまったかもしれない気象の異常事態を人々に警告したい旨を語っています。帆高の言うことが完全に真実だとすれば、東京が水没したのは帆高の決断が原因であると確定します。それだと、監督が行いたい警告の意図が飛んでしまいますよね。


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