04. 新海監督発言「前作で怒った人をもっと怒らせたい」のさらに深い意味とは?
新海監督は以下のインタビューで「前作で怒った人をもっと怒らせたい」と語っています。
「『君の名は。』に怒った人をもっと怒らせたい」――新海誠が新作に込めた覚悟
https://news.yahoo.co.jp/feature/1389
監督のネガティブな発言は興行収入に影響するため、東宝やKADOKAWA等の製作陣営からは控えるよう再三言われているはずです。それを押して発言した内容なのだから新海監督の強い本音であると推測されます。なお、「もっと怒らせたい」の意味については、インタビューを読んでいただければ、基本的に理解出来ますが、この言葉には更に一歩進んだ意味も込められているのではないかと私は考えます。
インタビューの中でも多少述べられていますが、新海監督は「君の名は。」の時に謂れのないひどい批評にさらされました。特にひどかったのが以下の小説家の石田衣良さんの批評でしょう。
――引用開始――――――――
「君の名は。」の監督の新海誠さんも若い子の気持ちを掴むのが上手いと思いました。たぶん新海さんは楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか。それがテーマとして架空のまま、生涯のテーマとして活きている。青春時代の憧れを理想郷として追体験して白昼夢のようなものを作り出していく、恋愛しない人の恋愛小説のパターンなんです。付き合ったこともセックスの経験もないままカッコイイ男の子を書いていく、少女漫画的世界と通底しています。宮崎駿さんだったら何かしら、自然対人間とか、がっちりした実体験をつかめているんですが、新海さんはそういう実体験はないでしょうね。実体験がないからこそ作れる理想郷です。だからこそ今の若者の憧れの心を掴んだのかも知れません。
――――――――引用終了――
新海監督は、怒りを込めつつ、感情を抑えたツイートで上記に対して抗議しています。
――引用開始――――――――
最近は実に様々なお言葉いただきますが、なぜ面識もない方に僕の人生経験の有無や生の実感まで透視するような物言いをされなければならないのか…笑。
――――――――引用終了――
そういったことを踏まえ、この作品には「前作に怒った人をさらに怒らせる」というだけでなく「自分の作品に対して見当違いのことで怒ったり嘲ったりする人に恥をかかせる」という「罠」の要素が作品に仕込まれているのではないかと私は感じています。
本作において帆高の決断が東京を水没させた主原因であるかは不明ですし、帆高と陽菜がツーカーに理解し合ってるかも不明です。作品を深く読み込めていればわかることですが、それらを不明ではなく確実なものと誤解した上で非難すれば、その人は当然恥をかくことになります。ちゃんと読み込めば多様な解釈が可能な部分を作品に多く作ることで、アンチファンの思い込みによる非難を誘発し、彼らの読解力の低さを露呈させようという「罠」の意図も有ったのではないかと私は考えました。
なお、「罠」は推測の域でしかありません。ただ、この「罠」の面白い点は、好意的(否定的でも問題ないが)な推測でアレコレ解釈しても、発動することがほぼ無いことです。一方、「こんなことを描く新海監督は低劣だ」みたいな断定的な非難に対しては即発動となります。基本的に非難は断定的な体裁を採るものです。「××かもしれないからケシカラン」なんて非難はほぼ有りえないからです。
「『君の名は。』に怒った人をもっと怒らせたい」――新海誠が新作に込めた覚悟
https://news.yahoo.co.jp/feature/1389
監督のネガティブな発言は興行収入に影響するため、東宝やKADOKAWA等の製作陣営からは控えるよう再三言われているはずです。それを押して発言した内容なのだから新海監督の強い本音であると推測されます。なお、「もっと怒らせたい」の意味については、インタビューを読んでいただければ、基本的に理解出来ますが、この言葉には更に一歩進んだ意味も込められているのではないかと私は考えます。
インタビューの中でも多少述べられていますが、新海監督は「君の名は。」の時に謂れのないひどい批評にさらされました。特にひどかったのが以下の小説家の石田衣良さんの批評でしょう。
――引用開始――――――――
「君の名は。」の監督の新海誠さんも若い子の気持ちを掴むのが上手いと思いました。たぶん新海さんは楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか。それがテーマとして架空のまま、生涯のテーマとして活きている。青春時代の憧れを理想郷として追体験して白昼夢のようなものを作り出していく、恋愛しない人の恋愛小説のパターンなんです。付き合ったこともセックスの経験もないままカッコイイ男の子を書いていく、少女漫画的世界と通底しています。宮崎駿さんだったら何かしら、自然対人間とか、がっちりした実体験をつかめているんですが、新海さんはそういう実体験はないでしょうね。実体験がないからこそ作れる理想郷です。だからこそ今の若者の憧れの心を掴んだのかも知れません。
――――――――引用終了――
新海監督は、怒りを込めつつ、感情を抑えたツイートで上記に対して抗議しています。
――引用開始――――――――
最近は実に様々なお言葉いただきますが、なぜ面識もない方に僕の人生経験の有無や生の実感まで透視するような物言いをされなければならないのか…笑。
――――――――引用終了――
そういったことを踏まえ、この作品には「前作に怒った人をさらに怒らせる」というだけでなく「自分の作品に対して見当違いのことで怒ったり嘲ったりする人に恥をかかせる」という「罠」の要素が作品に仕込まれているのではないかと私は感じています。
本作において帆高の決断が東京を水没させた主原因であるかは不明ですし、帆高と陽菜がツーカーに理解し合ってるかも不明です。作品を深く読み込めていればわかることですが、それらを不明ではなく確実なものと誤解した上で非難すれば、その人は当然恥をかくことになります。ちゃんと読み込めば多様な解釈が可能な部分を作品に多く作ることで、アンチファンの思い込みによる非難を誘発し、彼らの読解力の低さを露呈させようという「罠」の意図も有ったのではないかと私は考えました。
なお、「罠」は推測の域でしかありません。ただ、この「罠」の面白い点は、好意的(否定的でも問題ないが)な推測でアレコレ解釈しても、発動することがほぼ無いことです。一方、「こんなことを描く新海監督は低劣だ」みたいな断定的な非難に対しては即発動となります。基本的に非難は断定的な体裁を採るものです。「××かもしれないからケシカラン」なんて非難はほぼ有りえないからです。
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